冬のおもてなしの一環で、金沢城公園三の丸広場で、古来から受け継がれてきた伝統文化諏訪流「放鷹術(ほうようじゅつ)}の実演がありました。多くの観客が息をのんで見守っていました。
鷹狩の歴史は約4000年前にさかのぼるといわれています。古代において鷹は軍事権と結びつく象徴的な存在であり、古代天皇や武家政権の権威を示す重要な文化でした。江戸時代には徳川家、とりわけ八代将軍・徳川吉宗の頃から制度として整えられ、武家文化の一つとして広く浸透していきます。

金沢でもその文化は受け継がれ、明治時代には古儀保存のため前田家に預けられるなど、大切に守られてきました。

実演では、鷹匠の装束にも言及がありました。現在、諏訪流放鷹術保存会が着用している鷹匠の装束は、明治から大正時代に宮内省(現在の宮内庁)で採用された様式を基に再現されたものです。見た目は古式ゆかしく見えますが、その細部には時代の変化が刻まれています。

江戸時代の装束と大きく異なるのは足元と頭部。かつては藁の編み上げ靴や草履を履いていましたが、現在は地下足袋を着用しています。また、頭巾の代わりに鳥打帽(ハンチング)を取り入れている点も特徴です。この鳥打帽の採用には、明治維新後の西洋化政策の影響が感じられます。伝統を守りながらも、時代の流れを反映しているのです。

装束は実用性も重視されています。羽織の下には動きやすい野袴、足には脚絆を巻き、鷹を扱うための皮手や角紐などの道具を身につけます。腰回りには餌を入れる籠や合図用の道具も備えられ、すべてが実践のための装いです。

一見すると伝統そのものの姿に見えますが、その装束は時代ごとの政治や文化の影響を受けながら形づくられてきました。鷹匠の姿は、日本の武家文化と近代化の歴史が重なり合った象徴でもあるのです。
実演は離れていたので、あまり写真が撮れず。鳴らすと音が響き、暗い時間帯でも合図として機能する道具です。藤で編まれた籠には鷹の餌、いわば“鷹のお弁当”が入れられています。

実演では、櫓から鷹が飛び立ち、合図に応じて人から人へと渡る「ふりかえ」、木から人の手へ戻る「渡り」などが披露されました。繊細な絆と信頼関係があってこそ成り立つ技です。鷹は一つ一つの実演が終わるごとに口餌籠(くちえかご)から餌をもらっていました。

鷹をつなぐ紐には、蚕の糸を100本を3本取りにして使うなど、伝統的な技法が今も息づいています。一羽の鷹が空を舞うその背後には、長い歴史と文化の積み重ねがありました。全国から集まった鷹匠たち。迫力ある鷹たちの飛翔と鷹匠の巧みな技が光る瞬間でした。