豊川稲荷の中にある「霊狐塚」をご紹介します。

赤い鳥居の道を歩くのは、何だか京都の伏見稲荷大社を思わせますよね。
この豊川稲荷が出来た時、平八郎と名乗る老人がいたそうです。
この平八郎は家には釜が1つだけあったのですが、炊飯やお茶出しなどの寺の給仕全てをたとえ何百人もの来客を迎えようとも全てそれで間に合わせたそうです。
どの程度の大きさの釜か知りませんが、よほど大きいサイズや中小サイズのものがいくつかなくては無理な話ではないでしょうか。コンロもまた1つでは無理です。
家事全般が昔より便利になった今でさえそう感じるので、昔ならばまず無理でしょう。
やはりその老人の働きぶりには驚き、その秘訣を聞いたようです。
以下は引用です。
「いなり」とは「イナノリ」の音便で、ノリは実登の義で、豊年を意味して稲荷と書くわけです。

また、豐川吒枳尼眞天は世に「平八郎稲荷」とも称せられています。以下にその理由を御紹介しましょう。

東海義易禅師が妙嚴寺開創の時、一人の老翁があらわれ、「お手伝いをいたします」と禅師の左右に侍してよく働き、自ら平八郎と称していました。

老翁は一つの小さな釜を持っているだけで、ある時は飯を炊き、ある時は菜を煮、又ある時は湯茶を沸かし、しかも幾十人幾百人を展待するのにもこの不思議な釜一つで間に合いましたので、その神通に驚かないものはありませんでした。

そこである人が一体どのような術を使っているのかと尋ねると、平八郎はにっこりと笑って
「私には三百一の眷属がありますので、どんな事でもできないということはありません。又どんな願いも叶うのです。」と申しました。

この不思議な老翁は、開山禅師が遷化されてから忽然と姿を消してしまいましたが、あとには翁が使っていた釜だけが残されていました。

この因縁により世に平八郎稲荷と称えられるようになりました。
(出典:豊橋稲荷公式HP
この狐塚のキツネさんは、さながらその平八郎とその眷属、そしてお寺を守る信者さんたちの心の表れなのかもしれませんね。