茅ヶ崎のヤマダ電機の裏に、こんな小さな空き地があるのですがなんだろう?と足を止めてみると、なんと製紙場が昔昔にあったそうですよ。

1917年から1937年まで茅ヶ崎に製糸場があったということは、地元民でさえも知りませんでした。小山房全という長野県出身の人がこのあたりに製糸場をつくり、女性従業員たちが働いていたそうです。
その昔、ノンフィクション「ああ野麦峠」が映画化、ドラマ化されてヒットした時代もありましたが、海辺の街でああいう製糸工場が経営されていたと聞いてもあんまりピンとこなかったのですが。
明治時代には神奈川県内で養蚕も行われていたそうで、小山久左衛門という実業家の経営していた純水館という長野県内の工場を茅ヶ崎にも開いたそうです。家族が結核を患い、当時アジア一のサナトリウムだった南湖院にやってきたのがきっかけだったそうです。「野麦峠」の女工哀史にイメージされるあの過酷な労働よりはもっと健全な環境で運営されていたとか。やはり茅ヶ崎は気候がよく太陽が降り注ぐ街ですから、病気になる人はもっと少なかったのではないだろうかと推察します。ちなみに、小山久左衛門の息子の一人は画家の小山敬三です。

まだまだこの純水館については研究途上ですが、明治から昭和初期までの茅ヶ崎の産業を知る大きなきっかけになるでしょう。