京都市上京区の同志社大学新町キャンパスの一角に、ひっそりと佇む石碑があります。
そこには「日本電池発祥地」の文字。日本の蓄電池産業がここから始まったことを示す、意外にも控えめな記念碑です。
そこには「日本電池発祥地」の文字。日本の蓄電池産業がここから始まったことを示す、意外にも控えめな記念碑です。

この地には、かつて「日本電池株式会社」の本社と工場がありました。
現在のGSユアサの前身にあたる企業で、1917年に島津製作所の蓄電池部門が独立する形で設立されました。
その背景には、島津製作所の2代目社長・島津源蔵による鉛蓄電池の国産化成功(1895年)があります。
さらに1912年には、新町今出川に本格的な工場が建設され、日本の蓄電池製造が本格的に動き出しました。
現在のGSユアサの前身にあたる企業で、1917年に島津製作所の蓄電池部門が独立する形で設立されました。
その背景には、島津製作所の2代目社長・島津源蔵による鉛蓄電池の国産化成功(1895年)があります。
さらに1912年には、新町今出川に本格的な工場が建設され、日本の蓄電池製造が本格的に動き出しました。
なお、日本で最初に電池を作ったのは佐久間象山とされ、また実用化された乾電池は明治時代の屋井先蔵による発明(屋井乾電池)が元祖です。
ならば京都のこの場所は「日本電池発祥地」ではないのでは?…と思わなくもないですが、「蓄電池(充電式)の産業化」の原点、ということのようです。
ならば京都のこの場所は「日本電池発祥地」ではないのでは?…と思わなくもないですが、「蓄電池(充電式)の産業化」の原点、ということのようです。

その後、日本電池は1942年に京都市南区へ本社を移転。1959年には今出川工場を閉鎖し、跡地は同志社大学へと引き継がれました。
現在も、旧本社社屋「臨光館」の名残とともに、発祥の記念碑が静かに残されています。
現在も、旧本社社屋「臨光館」の名残とともに、発祥の記念碑が静かに残されています。

非常に目立たないので通り過ぎてしまうかもしれませんが、この小さな石碑は日本の産業技術史における確かな一歩を今に伝えています。
京都を訪れた際には、そんな“産業の記憶”にも、ぜひ足を止めてみてはいかがでしょうか。
京都を訪れた際には、そんな“産業の記憶”にも、ぜひ足を止めてみてはいかがでしょうか。