滋賀県大津市葛川(かつらがわ)。

左手を流れる川に沿って車を走らせる。
右手には木々が途切れることなく続き、やがて川は草木の向こうに見え隠れするようになる。

若狭街道と呼ばれる国道367号から少し右へ折れた先、静かな集落が広がり、その一角に、吹きガラス工房「glass imeca」がある。
工房として使われているのは、築100年を超える古民家だという。

窓から差し込むやわらかな光が木の床を照らし、天井には改修の際に姿を現した太い梁が伸びている。
工房の奥では窯が静かに熱を保ち、窯の前へ近づくと、夏の暑さとは違う熱気がゆっくりと伝わってくる。

この日、神永朱美さんが制作していたのは、琵琶湖の水草を使って発色させた「琵琶湖彩」のガラスだった。
吹き竿の先でゆっくりと回るガラスは、まだ柔らかく、少し時間が経つだけでも形が変わっていく。

神永さんは吹き竿を休むことなく回し続け、ガラスの様子を見ながら新聞紙や木型、道具を当てて形を整えていく。

窯の前では汗が額を伝う。
それでも動きに慌ただしさはない。一つひとつの工程を確かめるように、静かなリズムで作業が続いていた。
「ガラスは透明で、光を通すから美しいと思うんです」

そう話す神永さんは、再び吹き竿へ視線を戻した。

透明なガラスは、光を受ける角度によって見え方が変わる。反射や屈折によって表情を変え、厚みのある部分と薄い部分でも色の印象は異なる。

完成した作品だけでなく、熱を帯びて形を変え続けるガラスにも、同じように光が宿っていた。
神永さんがガラスと出会ったのは、大学卒業後に北海道のガラス専門店「北一硝子」へ就職したことがきっかけだった。
販売や接客だけでなく、商品開発やディスプレイ、広告、在庫管理など、ガラスを届けるための仕事を幅広く経験した。

店には観光で訪れた人たちが立ち寄り、自分への土産や、大切な人への贈り物として器を選んでいく。
そうした姿を見送る日々の中で、神永さん自身もガラスという素材に惹かれていった。

「販売の仕事をしていて、ガラスを作ることだけは経験していないなと思ったんです」

売ることは学んだ。届けることも学んだ。
それでも、まだ自分がやっていないことが一つだけ残っていた。
それは、自分の手で作ることだった。

その思いは少しずつ大きくなり、やがて制作の道へ進むことを決めた。

とはいえ、すぐに作品を作れるようになったわけではない。
最初の工房では、吹きガラス体験のアシスタントとして働き、道具の準備や片付けなどから仕事を覚えた。

その後、京都の工房で約六年間、助手を務めることになる。
そこでは制作だけではなく、注文への対応や梱包、発送、個人工房の運営まで、ものづくりの現場を支える仕事を一つずつ身につけていった。

制作を学ぶ毎日だったが、生活は決して楽ではなかった。
制作だけでは生活が成り立たず、朝は鮮魚店でアルバイトをしていた。

「魚をさばいて、そのまま魚のにおいが残った状態で工房へ行っていました」

振り返れば、朝から晩まで仕事が続く毎日だった。それでも、不思議と後悔はなかったという。

ガラスを作ると決めた以上、その時間も自分に必要なものだったと受け止めている。
助手として過ごした年月は、技術だけを学ぶ時間ではなかった。

工房を訪れる客とのやり取り、作品を箱へ収める瞬間、注文を受けてから届けるまでの流れ。その一つひとつを近くで見ながら、自分が工房を持ったときの姿を少しずつ思い描いていた。

2017年、神永さんは滋賀県大津市で「glass imeca」を立ち上げた。
当時は滋賀との縁が深かったわけではない。
工房を探していることを周囲へ話していたところ、知人の紹介で制作場所との出会いがあったという。

工房を構え、制作を続ける中で、この土地の多くの人に支えられていることを実感するようになった。

「滋賀の人に喜んでもらえるものを作れたらと思ったんです」

工房を続けるうち、この土地だからこそ作れるものがないだろうかと考えるようになった。
その思いから、この土地ならではの素材を使ったガラスを考え始めた。

最初に思い浮かんだのは、滋賀県で採れる鉱物だった。しかし、採集し、砕いて粉にする工程まで考えると、一人で続けられる仕事ではなかった。
そんなとき目を向けたのが、琵琶湖で刈り取られている水草だった。

乾燥させた水草を分けてもらい、灰にしてガラスへ混ぜる。
試行錯誤を重ねるうちに、淡い緑色が現れた。
さらに研究を続ける中で、偶然、青色が現れたこともあった。

「青が出るなら、これはやらなきゃと思いました」

そこから信楽窯業技術試験場との共同研究も始まり、水草から生まれる色の可能性を少しずつ広げていった。

水草を使う理由は、環境問題を伝えるためではない。
まず大切なのは、ガラスとして美しいこと。
水草だからこそ生まれる色を、美しいガラスとして表現したい。
その思いが、「琵琶湖彩」というガラスにつながっている。
神永さんが作っているのは、特別な日のためだけの器ではない。
グラスや皿、一輪挿しやぐい呑み。毎日の食卓で使われるものも多い。
作品について尋ねると、「芸術作品を作っているという感覚ではないんです」と話した。

「私は日常の中で使われるものを作っていると思っています」
依頼を受けるときには、どんな場面で使うのか、どんな思いを込めたいのかを聞くことも少なくない。使う人の暮らしを思い浮かべながら、自分の感性を重ねて形にしていく。

ガラスは光によって表情が変わる素材だ。
朝の光、夕方の光、照明の明かり。
置かれる場所によっても、その表情は少しずつ変わる。

「普段使っている器がガラスに変わることで、日常のちょっとした楽しみや、心の豊かさにつながればいいなと思っています」

作品が完成したあとも、その時間は続いていく。
食卓に並び、料理が盛られ、人の手に取られる。
神永さんにとって、作品は工房の中だけで完結するものではない。

応接スペースのテーブルには、一輪挿しやグラスが並んでいた。
一見すると同じように見える作品も、よく見ると気泡の入り方や曲線が少しずつ違う。
光を受けると、その違いはさらに際立つ。
「一輪挿しはほとんど形を決めずに作っています。その時のガラスの状態で、一番いい形になるようにと思って」

窯から取り出したガラスは、その日の温度や柔らかさによって表情が変わる。
ガラスに合わせるように手を動かし、その時にしか生まれない形を探していく。

一方で、グラスのように口径や高さをそろえなければならない作品もある。
自由に作るものと、正確さが求められるもの。そのどちらにも向き合いながら制作を続けている。

制作は、一日に何十個も続くことがある。
暑さの厳しい夏には、窯の前で汗が流れ続ける。集中力が途切れそうになる日もあるという。
それでも神永さんが繰り返し口にしたのは、「一つひとつ」という言葉だった。

「私にとっては三十個作るうちの一つでも、お客様にとっては、その一つがすべてなんです」

だからこそ、慣れや惰性で作ることだけは避けたい。疲れている日でも、暑い日でも、一つずつ丁寧に向き合うことを忘れない。
その積み重ねが、作品を手に取る人への約束でもある。

工房の名前である「imeca」にも、その思いが込められている。
独立を前に、自分の作品を表す呼び名を探していた頃、友人から一つのカップを贈られた。
そこには、自身の名前「akemi」を逆から読んだ「imeka」という文字が書かれていたという。
思いがけない贈り物だったが、そのうれしさは今も心に残っている。

「人を喜ばせるって、こういうことなのかなと思ったんです」

何気ない工夫が、人を喜ばせることもある。
その出来事をきっかけに、「k」を「c」に変えて「imeca」をブランド名にした。
あのとき受け取った喜びは、今も「誰かにとって特別な一つを届けたい」という思いにつながっている。

現在の工房へ移ったのは、およそ二年前だった。
以前の工房は住宅街にあり、夜遅くまで作業をすると、どうしても周囲へ音が響いてしまう。
もっと制作に集中できる場所を探していたとき、この葛川の古民家と出会った。

建物は傷んでいる部分も多かったが、自ら手を入れながら工房として整えてきた。
天井を外すと、立派な梁が現れた。
古い建物が持つ表情を生かしたいと思い、そのまま残すことにしたという。

工房の外へ出ると、山の緑が目の前に広がる。
畑や田んぼにも少しずつ取り組み始め、地域の人から教わることも増えた。

「草をむしっているだけでも、気分転換になるんです」

制作に行き詰まったときは、外へ出て土に触れる。
しばらく草を抜いていると気持ちが切り替わり、「またやろう」と思えるという。
ガラスと向き合う時間も、自然の中で過ごす時間も、今では同じ暮らしの中にある。

一方で、制作の依頼は年々増えている。
目の前の仕事を仕上げることに追われ、新しい作品についてゆっくり考える時間が取れないこともある。

「もう少し余裕を持って、新しいことも考えていきたいですね」
そう笑いながらも、その表情は穏やかだった。

神永さんは窯から取り出したガラスへ息を吹き込み、ゆっくりと吹き竿を回す。
柔らかなガラスは道具を当てるたびに少しずつ形を変え、その表面には窓から差し込む光が静かに映り込んでいた。
取材:2026年7月