幕末から明治維新にかけて活躍した長州藩士・桂小五郎(のちの木戸孝允)。京都には留守居役として常駐していたため、多くのゆかりの地があります。今回は、彼の邸宅跡や潜伏先となったスポットを巡ってみました。
まずは、長州藩邸があった現ホテルオークラ京都の敷地。
敷地の西側には、桂小五郎の像も建っています。
【長州藩邸跡】
京都市中京区一之船入町高瀬川に架かる姉小路橋のたもとには、対馬宗氏屋敷跡があります。対馬宗氏が長州毛利氏と縁戚関係にあったことから、桂はここも京都の住処の1つとしていました。
池田屋事件の際にも、対馬屋敷に逃げ込んだという説があります。
【徳川時代対馬宗氏屋敷跡 附 桂小五郎寓居跡】京都市中京区河原町通三条上る二筋目東入恵比須町540 シティーハイツ池亀
同じく池田屋事件の後に桂が潜伏していたのが、二条大橋。
二条大橋の下で、乞食の恰好をして隠れていたのだとか。橋の上からのちの妻となる幾松がおにぎりを落とし、それを食べて生き延びたというエピソードも残っています。
その幾松と桂が幕末に過ごしていた屋敷跡が、木屋町にあります。料理旅館「幾松」として存在していましたが、現在は残念ながら工事中の姿に。
襲撃に備えて隠し部屋や抜け穴があったのだそうで、本当に残念です。今後この敷地はどうなるのでしょうか。
明治維新後、木戸孝允として邸宅を構えたのが、現在のお宿いしちょうの辺り。
その横の京都市かもがわ庁舎のところにも石碑が建っており、一帯を敷地としていたようです。かなりの豪邸だったのでしょう。
「明治天皇行幸所木戸邸」と書かれているのは、病に倒れた木戸孝允を明治天皇が見舞ったことから。幾松も夫の看病にあたりましたが、明治10年にこの地で病没しました。
【明治天皇行幸所木戸邸】
中京区土手町通竹屋町上る東入(京都市職員会館かもがわ前)
これらのゆかりの地は、比較的近いエリアに集まっており、お散歩がてら巡ることができました。








